2004年02月25日

人権侵害?

奈良の修験道、根本道場大峰山は開山以来約1300年間にわたって女人禁制。
男性なら信者でなくとも入山できるが、女性はダメである。

この大峰山、政府がユネスコに世界遺産登録を推薦しているらしいのだが、ちょっとしたトラブルが発生しているらしい。


「女人禁制という人権侵害以外の何ものでもない状態のままで、世界遺産に登録されるのは問題だ!」
みたいな運動が盛り上がっているそうだ。

諸君はどう思うか?

修験道の道場が女人禁制であることが、“人権侵害”なのかどうか・・・

バカいってんなよ・・・それが俺の意見。

男女の権利については、これ以外にも紛争のネタはつきないが、
これは違うんじゃないか?って思う。

Posted by taku0922 at 16:00
この記事へのコメント
俺が女子トイレに入ってはいけないのも、人権侵害? でも、根本道場大峰山がどんなにすばらしい山か知らないけど、女性にしてみれば、世界遺産が男しか見れないのは、しゃくに触る気持ちもわからないでもない・・・・。
 私は気持ちは男だ〜〜〜・・・・、って言い張って。入山するとか・・・。
Posted by Kenny at 2004年02月27日 14:24
みなさん こんにちわ〜
私は女です〜が(笑)最近のすべて男女平等という事に
どうも違和感のあるものが二つあるんです〜
むつかしい論理は抜きにして あの看護士という言葉 やはり
昔からの看護婦さん が いいように思うんです〜〜
看護婦さんという呼び名には やさしいひびきがあり 女性の場合は
無理に看護士としなくてもいいんじゃないかって思うんですけどねえ

それと地下鉄の車掌さん いつも朝のラッシュ時の地下鉄 可愛い服装で子供みたいな 若い女の子が一人で車掌してるの 止めて欲しい〜なんて思ったり〜

もし 何か不測の事態でも起きた時 男性と同じ様に働けるのか ちょっと疑問に思います〜

車掌さんはマスコットじゃないんだから 私は・・・・・なんですが〜

でも まあ 時代なんでしょうかねえ(笑) 私 歳かな?(笑)〜です^^o
Posted by すうちゃん at 2004年02月28日 12:59
『平等』ってそもそも無茶な話。
平たく等しい・・・そんなのはありえない。
みなを平たく等しくする・・・それが良いことだろうか?
不自然だし、キモイ・・・
それこそ人権侵害ではなかろうか?

『対等』ならわかる。
主張する権利を同等に有するって感じか・・・

でも、みなが権利と責任と義務を同等に有するようになったら、
社会はなりたたん。政治もなりたたん。世界の仕組みがなりたたん。
代表して責任を負うというリスクと引き換えにポストがある。
みなで責任を引き受けるってのは、聞こえはいいがつまりは無責任。

それと人道的な『差別』はいかんが『区別』は必要。
だって、そもそも一人一人みんな違うのが生き物だから。
クローン人間でないかぎり、ひとりひとりはこの世でユニークな存在だ。
結果的に“異差”があり、便利性から『区別』が必要になってくる。

『適材適所』も忘れちゃいけないだろう。
向き不向きに逆らうと、誰も得しない。

本音で言えば、“人はみな平等”なんていうのは大ボラ。
そもそも“不公平”で“理不尽”なのがこの世の中なのだ。
その“不公平”さと“理不尽”さのおかげで、進歩つうか変化が起こる。
革命しかり、技術革新しかり。

ただね・・・
俺はゲットーに強制収容された経験もないし、虐待に会ったこともない。
だから人ごとのようにのんきにこんな能書き論で考えられる。

だから思うのは、『平等』『差別』とかの問題は、歴史をふりかえって
“あれはひどい 繰り返してはいかん”と思う事柄を
今後なくしていくってことが大事なんじゃんかな?
“看護婦さん”が“あれはひどい”って事柄に入るとは俺も思えん。

ん〜〜〜難しい問題だなぁ・・・こゆのは。
Posted by TAKU at 2004年02月28日 13:59
たしかに、難しい問題です。
そーいう部分を追求していくと「ミス○○」のコンテスト
が『差別』や『女性軽視』だって主張する人もいるし、
私の近所の小学校は運動会の「かけっこ」が『人権侵害』
にあたるという理由で廃止されたり、学校によっては
みんなで手をつないでゴールインするという順位がつかない
「かけっこ」に変更されています。
これをどう受け止めたらいいのでしょうか?

えらそうな事を言うつもりは毛頭ありませんが、私は小学校
時代、超鈍足で有名な位でした。でも、だから自分の得意な
事は尚更「がんばろう」と思えたものです。
TAKUさんのおっしゃる「適材適所」ってのは、私も考え
ます。一般論で言って、例えば体力の要る労働で、女性は
男性と同じ仕事量をこなせるでしょうか?
その労働力の違いから給料格差が出てくる事もありえると
私は思います。もっとも会社組織では男同士だって、格差は
生まれるわけだから。
女性でも類まれなる、体力の持ち主もいると思います。
その女性は、自分の特性を正当に評価して欲しいと考える
のはこれまた然りです。
ただ、そこで「この職場は女性が希望しても、最初から入る
事すら出来ない」となるとまた難しくなっていきます。

もちろん、これは社会での話で、TAKUさんの修験道の
お話とは本質的に違う意味合いの話ですが。

で、私は今『男女平等』『同性、人類皆平等』って意味を
取り違えすぎて、世の中に歪が生じてきていると思います。
個性が消されていったり、逆にその部分で言い方は悪いかも
しれませんが、甘えが生まれてしまっている気がします。
TAKUさん達の「Wolf」という歌の歌詞に共感します。
Posted by たんたん at 2004年03月02日 04:38
はじめまして。ちょっと気になったのでコメントさせて頂きます。

私は女性問題の専門家でも何でもありませんが、
確かに最近の何でも平等と言うのはおかしいと思います。
「区別」と「差別」が混同されているのは考えなきゃ行けませんね。

けど、この山をその例にするのは良くないと思います。
コメント欄も山の事に付いてはだれも書いておられませんけれど。
「人権問題」を山に問うのはおかしくないか。ってお話、ですよね?

で、この山の場合、理由が宗教的1300年の事情ですからね。
その事情の根本も、
「女性が穢れている。」「女性は修行の邪魔になる。」
って理由で定められたご法度だと聞いています。
だもんで、これはどっちかと言うと……、
Takuさんの言われる「区別」じゃなくて「差別」にあたると思います。
人権問題であると思いました。

21世紀に、女の人は穢れているから分ける!
と言う主張はどうあがいても通らないでしょう。
穢れてるから適材適所だ!なんていえません。
男が穢れていないという根拠も無いですし。

修行の邪魔になるといっても……、
そもそも邪魔なのは女性だけじゃないでしょう。
女性でなくたって、昔の荒れていた時代には、
同性を肉体的に愛するお坊さんは居ました。

それこそ本格的に修行の邪魔と言うなら、
一般人を男女問わず固く禁じれば誰も文句は言わないでしょう。
ここの修験者は全員男のはずですし。それなら宗教的な理由も通ります。
観光地として利益が出るか出無いかを持ち出したら、
宗教がどうのこうのの問題ではなくて、言語道断ですけど。

これらを踏まえて考えても、
「女性だから信仰していても入山できない」と言うのは、
本人にはどうする事も出来ない門地の差別となんら変わらんでしょう。
女性ではこの山で修行するどころか山にも入れないのです。
上記の宗教的な事情によって、です。

ただ単に女性であると言う理由で、
「穢れないように」しても「邪魔にならないように」しても、
それでも駄目とこの山に関して言われるのは不思議です。
「生まれながらに穢れている。」とされているのでしょうか?
荷物とは違って、宗教は、当人の心がけ次第ではないかと。

だから、記事中の、

>修験道の道場が女人禁制であることが、“人権侵害”なのかどうか・・・
>バカいってんなよ・・・それが俺の意見。

について。
女性だって修行する権利はあるでしょう?何故、と思いました。
これは適材適所とは全く関係のないお話です。
お坊さんにだって女性の方は居られます。
何故この山に関して女性の修行も許されないのか。

そう捕らえると、山について「人権侵害ですよ。」と言う声が、
区別と差別の混同には当たらないと私は考えました。
どうでしょうか?意見をお聞きしたいです。

「差別と区別の混同を避ける」と言うのには大賛成です。
けれど、山の男女問題はそれとは違うお話だと思い、
それだけ気になりましたから長々と書かせていただきました。

では。
Posted by エヴラカ丸. at 2004年03月21日 02:48
俺は肉体的には紛れもなく男です。逆に男性入場禁止の山や教会、寺院などが(多分、世界中にいくらでもあると思う。)あって、それが世界遺産でも、俺は、これは人権侵害だ!なんてばかなことは言わない。
Posted by Kenny at 2004年03月21日 08:03
 ただ、世界遺産を見る権利は、誰にでもある。そこに男女間は関係ない。だから、その山だか谷を、世界遺産に認定しなければいいんでないの?
地球上にある自然、歴史あるもの全て、世界の遺産なんだからさぁ・・・。別に無理に世界遺産に認定しなくてもいいような・・・。
 そんで、もともと、宗教なんてそれそれ考えがあってやっているのだから、宗教によっては、差別、区別なんていっくらでもあ〜〜る。その、それぞれの考えやしきたりに苦情を言っても始まらないよ。 
 それがあるから世界中で戦争紛争テロが絶えないだろうな。
Posted by Kenny at 2004年03月21日 08:27
いくつかの問題がごちゃごちゃになってるんだよね、この話。

世界遺産推薦の話は、なんやかんやでおそらく経済効果が一番の目的だろうと思う。
それについては、それでみんなが潤うのならば、それはそれでオッケイなんではなかろうか?
そう思う。日本に世界的な名物が増えるのは悪いことではない。

しかし、俺が言いたかったのは、
その為にソフトの部分。文化的な伝統を失うのはいいのか悪いのか?
みたいなこと。

世界遺産って意味は、そのハードの部分、つまり場所そのものなのか?
それともソフトも?・・・つまりその場所で培われた文化をも含むのか?
そゆ話。

俺的に言えば、後者だと考えたい。

観光地として見たら、山は“場所”であるけど、
その伝統文化の“入れ物”でもあるわけで、
入れ物と中身をセットで文化遺産と呼ぶのではなかろうか?
そういう感覚。

それと、宗教的な女人禁制が“差別”か否かの問題については・・・

宗教も、まず、誰かが始めたわけで、
つまりは、その誰かがルールを決めたわけだ。
んで、それに納得した人が信者になっていった。
つまり逆に言ったら、それに納得できない人は信者にならなきゃいいのだ。

女性ももちろん修行する権利は有するだろう。
だから、本人が納得する宗派や方法で修行すればよい。

ただね、問題は“山”の話なんだおね。
誰々の私有地なら話は簡単なんだけどね。

難しいね・・・・
Posted by TAKU at 2004年03月26日 04:25
TAKUさんの、人はすべてユニークな存在である、という意見に賛同です。
かつて村上龍氏がエッセイで下記のようなことを書いていました。

キューバの音楽学校は毎年何百人も入学してくるが、年を経る毎にふるいにかけられ、
最終的には数名しか残れない。すなわち何百人は落第(たぶん退学)。
だがキューバ社会にはある共通理解がある。
それは、「俺は(彼は)音楽で負けた。だが俺には(彼には)音楽以外の道があるか
もしれない。」というもの。
だから落第者は自我喪失する必要がない。
社会全体にこのようなセーフティネットがあることは有益だ。

こんな感じだったかな…。
これを自分にあてはめるとですね、僕は長い事アマチュアバンドをやっているので、
その方面ではもうあまり苦労せずにすんでいます。でもサッカーでは初心者で、練習
ではいつもみんなに迷惑かけたりコーチングされたりして、凹む事しばしばです。
でも凹んだ時も、「俺には音楽があるから」と思う事ができてしまうんですね。
そして音楽場面で初心者の人に接する時に、相手の心境が「サッカーにおける自分と
同じ、もしくは近いのでは」と感じて、コミュニケーションの糸口が増えるんです。
これはすごくいいことだと思っているのです。
Posted by けんご at 2004年03月28日 15:45
看護婦なんていまや捨て駒!!
働いても働いても理不尽なことをならべたて誤らせて満足している患者、
自己犠牲が当たり前の管理者の看護婦の上司、休みなんか夜勤明けしか貰えず
睡眠時間は前日夕方7時まで働いてその5時間後にはもう病院にいかないといけない。それで世間は(看護婦さんはお給料いいから)なんて何もしらないから平気で言う。夜勤するごとに命が削られていく!!
これが現実
やってられないよ
白衣の天使なんて誰がいったのか?
Posted by 大学の看護士 at 2004年12月08日 23:36
警察をはじめとする日本人とコリアンに毎日いびられてる。
日本人が焚き付けなければコリアンは対してやらなかっただろう。
俺が人を殺したら日本人の自業自得だ。
そういう状況に追い詰められているんだから仕方がない。
Posted by 工藤スターリン at 2005年06月10日 12:09
一応私は女です。
けれど、私の考えが男性の方よりだからでしょうか、
女人禁制だから「人権侵害」って考え方になるのもおかしいのではないか。
そう思います。

そもそも「人権侵害」という考えは後から生まれたものなんですから。

女性を山に入れないというのはそこで修行する男性の事を思ってやっていたものだとも思うし。

色事はその道での罪ですから笑

女人禁制が無くなればそれまで守られた文化を消すものだし、ね
なのでこの状態のまま世界遺産に登録されるのが良いと思います。
Posted by 三木 at 2008年08月23日 22:38