2014年08月31日

ニワトリじいさん 

 
昔々あるところに
たくさんのニワトリを飼育していたおじいさんがおったそうな。

ニワトリじいさんはある日気がついた。

毎日同じ餌を食べて、同じ環境で飼育している
たくさんのニワトリの中で、
なぜか他のニワトリよりもより強く、
より大きく育つニワトリがいる。

いわば 天才ニワトリ。

おじいさんは不思議に思い、そのニワトリを観察してみた。

すると、どうやらその天才君の餌の食べ方が他のニワトリとは
ちょっと違うことに気がついた。

ご存知のように、ニワトリの餌は色々な素材が混合されている。

普通のニワトリは、
何も考えず与えられた混合餌をただ食べているだけのように見えるが、
その天才くんは
混合の餌から、ある特定の素材をよったりして、
結果、他のニワトリとは混合率の違う食事をしていることがわかった。

そこでおじいさんは
その天才くんの食べている混合率で餌を作り直し、
全部のニワトリに、天才くん好みの餌を与えてみた。

するとなんと
ほとんどのニワトリが、天才くんと同じように
より強く、より大きく育つようになりましたとさ。

めでたしめでたし。

まず
きっと天才ってそゆもんだよね。
このニワトリくんにとっては、
その餌の食べ方は、単なる好き嫌いだったはず。

でもここで重要なのは、

その天才くんの単なる好き嫌いをみんながマネすると、
普通のニワトリも大きくなれたってコト。

そして

混合餌の食べ方という
普通の人なら普段見過ごしているであろう
とてもささいなポイントに気がついた
ニワトリじいさんの感性。

昨日書いた
俺のホンモノ国への密航の為のパスポートにも
この話はしっかりメモしてあるよん(笑)


バナナ




  

Posted by taku0922 at 08:29

2014年08月30日

ホンモノとニセモノ

 
人物評価の際の表現として

「あいつは正真正銘のホンモノだね」

とか

「所詮あいつはニセモノだよ ダメだね」

のように、ホンモノとニセモノという言葉が使われる。

確かにどんな分野でも
まるでその為に産まれてきたような才能を持った逸材、
その分野の常識や記録の壁を一気に突き破る
天才と呼ばれるほんの一握りの存在がある。

そこまで大げさではなくとも、周りを見回すだけで
特別スジがいいとか、生まれつきそれに向いているとか、
誰がどう見ても
普通の人とは明らかに違ったモノを持っている人物が存在する。

どんな分野でも時代が進めば進むほど、
全体のレベルが上がってくるので、

俺個人の意見としては
プロの世界では、すでにもはや俗にいう“ホンモノ”しか
通用はしない時代に入っていると思っている。

昭和の時代だとね、
たぶん“なんちゃって”でも何とかなったんだよ。

でももう無理。

音楽を含めた芸術の世界でいうならば、
その人物だけにしかないなんらかの
評価に値する独自のオリジナリティを持ったアーティストってことかな。

まぁとにかく
もう“なんちゃって”ぢゃ絶対ダメなんだと思う。
プロとして恥ずべき存在なんだとまで思う。

で 俺はたぶん

残念ながら
できるならばホンモノにかぎりなく近づきたいと願っているニセモノ。

もうちょっと補足して表現をするならば、

ホンモノとニセモノの違いを察知できるニセモノ。
ホンモノが観ている世界を想像することのできるニセモノ。

ホンモノラーメンの列に並んでいたら、
惜しくも自分の前でスープがなくなり列が切られた…みたいな(笑)

正直それは本人が一番わかっているからね。

でも神様は、俺にその違いを感じさせてくれる感性だけは与えてくれた。

だからね、俺としてはその感性を武器に
ホンモノにかぎりなく近づこうと思って毎日生きてるんだ。

人間になりたいと願うピノキオとか、妖怪人間ベムと同じだね。

さもなきゃ
ホンモノの国へどうにか不法入国しようとしてるニセモノ難民。

でもまぁ

こんなことが言えてる自分は、
きっと普通じゃない何かしらは持ってるはずって自惚れてもいるんだけどね。

どっちみち
最悪でも国境の網にへばりついてやろうかと思ってるからさ(笑)



ホンモノとニセモノ




  
Posted by taku0922 at 10:08

2014年08月29日

一生の宝物 

 
先ほど、バディ・リッチとのプレイの緊張感は
きっとメンバーの一生の宝物だよね
という記事をFaceBookに書いた。

それで思い出したんだけど…

そいえば銀蝿さんも
特殊なイメージがあるバンドなので

そのせいか仕事で一緒にプレイするミュージシャンやスタッフが、
特に若者なんかの場合、バカに緊張していたりすることがある。

でもね、残念ながら
バディ・リッチの話とはちょこっと違う緊張感。

もっと原始的なバイオレンスな緊張感ていうか、
わかりやすくいうと
おっかない人達だからって種類の緊張感。

我々、何もなきゃおっかなくないのに、
なんとなくのイメージが先行してますからね。

ヘマしたら怒鳴られそうだからとか、
気分を損ねて殴られたらどうしようとか、
つまり極端に言えば、恐怖の緊張感なんだなきっと。

俺はね、
そういった場合の緊張感には、
いい緊張感と悪い緊張感があると思ってんの。

同じ緊張感でも天と地の差がある。

怒鳴られておっかね〜からヘマしたら大変だ。
って緊張は萎縮を招く。

気持ちも手足も萎縮しちゃって
かえってよけいに固くなって間違えたりして、
そいつの持つ本来の実力が発揮しにくくなってしまう。

実際、そゆ場面も今までたくさんあったし。

昔はさ、それでもよかったのかもしれないんだよ。
でも今は無理。

体育会系や不良あがりのヤツなら
どっかに、ドMなとこあるから(笑)
それも通じるかもだけど、
そうじゃない人もたっくさんいるわけで、

特に今の時代の若者は、ま〜るで違う価値観と
育ち方してんだもん。

だからさ
同じ緊張感でも

この人が努力してこんだけばっちりやってんだから
俺がヘマなんかしたら大変だ。

っていう恐怖の緊張ではない、
責任の自覚の緊張がいいと俺は思っている。

てゆか、一緒に仕事する人達の力を信頼して
より引き出してあげれたらなと思ってる。

育ててあげなきゃとも思ってる。

「銀蝿さんとやるとさ〜 普段の自分よりも全然いい仕事できるよな〜」

「なぜか一緒にいるとレベルアップできるんだよ」

とか思ってもらえたら最高。

だから俺も

俺たちとの仕事が、そいつの一生の宝物になるような
そんな男たちでいたいと思う。


一生の宝物




  
Posted by taku0922 at 09:17

2014年08月28日

鮮度 

 
不思議なんだ。

コード進行もフレーズも歌詞も
若い頃作った曲は、
高校の時の曲さえ全然覚えてるんだけど、

30代以降に作った楽曲は
レコーディングが終わると
スパっと忘れちゃうというか、
復習しないとライブでできないんだよ。

他へ提供した楽曲や
デモまでで終わったヤツなんかは
メロさえ覚えていなかったり、
そもそも作ったこと自体を忘れていたり。

脳、とりわけ記憶力が劣化してくのかなぁ? (笑)

でも判断力とかモノの分別や知恵や知識は
どんどんアップしてるはずなんだけど…
てゆかそう信じたいんだけど。

だからきっと体験の量の問題なんだろう。

考えてみたら曲だけじゃなく、
出来事って全部そうだもん。

次から次へとの流れの中で
慣れちゃうってことだな。

どんなことでも初体験のインパクトが最大で、
その後は回数を重ねていくうちに
慣れて上手にはなってくるかもだけど、
記憶には残りにくくなってる。

経験を重ねるということって
いい面と悪い面があって…

いいやなんか違うな。

やはり体験は重ねるにこしたことないんだよ。

モノゴトは慣れてより手早く、より上手に
まくられずスムーズにできるほがいいに決まってる。

ポイントは、慣れてしまったときに
気持ちの鮮度を維持できるかどうかの
感性の問題なんだ。

これを体験の数のせいにしてたら
結局、しかたないね…で、ちゃんちゃんだもね。
本質を見失うっていうか、話が終了で解決にならん。

経験を積めば積むほど必要なのは、
鮮度を保つ感性だ。

とかなんとかブツブツ思いながら、
今夜も自分で書いた曲の復習におおわらわ(笑)


鮮度




  
Posted by taku0922 at 07:33

2014年08月27日

人生のステージ 

 
みんなそれぞれが
人生のステージに立っている。

なにもスポットライトのあたる場所だけが
ステージではない。

みんなが一人残らず物語の主役。

現実にさいなまれても
傷つけられても
絶望に打ちひしがれても
誰も認めてくれなくても
孤独に涙しても

それぞれがみんな
たくさんの感動や落胆、そして希望を胸に

大切な誰かの為に
守るべき誰かの為に
今日も精一杯の一歩を踏み出し続けている。

かっこなんてつけなくてもいい

勲章だっていらない

帰り道、自分の家の明かりが見えた時に
心の中にわきおこる暖かいもの

それだけを支えに多くの人が毎日、

言い訳もせず
人のせいにもせず
誇りをもって

満身創痍で己の人生のステージに立ち続けている。

そう思うとね…

俺は恥ずかしくって

ロックだヘチマだ言えねぇよ…


ブロークン・ウィンドゥ理論




  
Posted by taku0922 at 05:17

2014年08月26日

ブロークン・ウィンドゥ理論 

 
俺はつい最近知ったんだけどさ。
みなさんは「割れ窓理論」ってご存知でしょうか?

とても面白いと思ったのでご紹介します。

ある街に窓ガラスの割れた自動車を放置しておくと、
あれよあれよという間に車が壊されていき、
そして、あっという間に街の治安が悪くなるって話。

ビルの割れた窓ガラスの放置でも似たような結果らしい。
それと壁やシャッターのスプレー落書きも。

なんとなくわかるな。

割れ窓や落書きの放置がかもし出す雰囲気が、
その地域の人々の生活や意識に影響を及ぼす。

その雰囲気がタチの悪い人間を
ますます引き寄せるってのもあるだろうし。

ちょっと違うけど、
部屋の散らかりのきっかけもなんか似てるね。

せっかく整理整頓した部屋でも、
何かしら荷物を一個出しっぱなしにすると、
どんどんごちゃごちゃになっていく。

駐車違反もそうか。
誰も止まってなかった道でも、
誰かが一台止めると、どんどん増えていくね。

路上のゴミも誰かがポイってある場所に捨てると、
次々にそこにゴミが溜まる。

どれもよく言うエントロピー増大の一種でしょうか?(笑)

そもそも放っておくと
すべては混沌へと向かおうとする。

なのでどんなことも
ある状態を保つにはかなりのエネルギーが必要で、
ほんのひとつの小さなほころびがすべてを台無しにしてしまう。

そして、組織でも機械でも街でも身体でも、
一番弱いパーツの限界点が全体の限界点となる。

しかし、エントロピーの増大は孤立系、
つまり外界と物質や熱を交換しない系で起きる現象。
たしか閉ざされた状態、狭い視野の中で起きるコトだったよね?

だったら我々は開放系でいればいいんじゃないかと俺は思う。

結論としては、
まず、最初のほころびを絶対に見逃さないということがひとつ。

そして
外界との物質や熱の交換を怠らないということ。
つまり孤立せず意識を外に向けていればいいってことだ。
結局、みんながドデカい視野を持てればいいんだよ。

例えば組織だったならば、
メンバーの意識が内側にばかり向いてると必ず、
ねたみ・そねみ・競争・抜け駆け・足の引っ張り合いが起きる。
でもみんなの意識が外へ向いていれば、
一丸となって共通の敵と戦う同士となれる。

街だろうが会社だろうが家庭だろうがバンドだろうが、
人間が組織するものはみなそうだと思う。

とにかく狭い了見を捨てろということだな。
治安の話もゴミの話もそれでカタがつく。

てか、みんなが地球を我が家と意識できたら、
戦争だってなくなるぢゃん。

ということで本日は、環境犯罪学や熱力学の話が
けっこう人生諸々の話にも通づるよねというお話。

いつでも明るく楽しく気分よく暮らしていたいからね。


ブロークン・ウィンドゥ理論





  
Posted by taku0922 at 03:00

2014年08月25日

夏の終わり

 
今年もあちこち花火は観ましたが、
ファイナルは近所の花火大会。

金沢花火


日中はまだ暑かったりするけど、
陽が落ちると浜辺の風はもう完全に秋の気配。

夏の終わりは、
ボ〜っと花火を観ながら(たぶん口開いてるかも 笑)
ドッぷり切ない感情に酔うのが作法ですよね。

金沢花火


あ それとまたあんま関係ない話で恐縮なんですが、
やっぱりビーチパラソル立てるのってセンスがいります(笑)

金沢花火


そして…
俺の背中を見て大きく育っている185cm/110kgの巨体と2ショット!

金沢花火

夏の終わりのワンシーン


  
Posted by taku0922 at 05:06

2014年08月24日

Bass Man 

 
1998年に銀蝿が復活して以降は、
自分なりに思うところがあって
他アーティストのプロデュースは一切やらなくなった。

ただ数年前の、
ブレイン・ウオッシュ・バンドや
チェリー・ボーイズの復活をプロデュースしたのは例外で、
昭和のロックンロールを平成のCDショップにラインナップさせることが
ロックンロール全体にとって絶対に素敵なことだと思ったからで、
しかも俺がやらなければ絶対にあり得ないことだとわかっていたから。

まぁとにかく
プロデュース業から遠ざかってというか、
アーティスト活動に再び専念してからすでに16年。

今思えば、
よそ様の大切なアーティストをあずかってプロデュースさせていただいたり、
街でスカウトした原石を、ゼロから立ち上げ、制作し、プロモーションし、
マネージメントしという経験を経たことが、
自分のアーティスト生活にとてもプラスになっていることを実感している。

というのも、
眼も耳も感性もスキルも考え方も、
自分ではない他人の運命・人生を左右しているという責任感とプレッシャーによって
格段に進歩できたと思うから。

アーティスト目線ってのは、これは自分も含めてだけれども、
やっぱ自分が、俺がっていう自己顕示やひとりよがりにかたよりがちになるわけで、
まぁそれが悪いことなわけではないんだけれども、
でもどうしても周りが見えなくなってしまっていたり、
冷静な判断がしずらくなってしまうことが多々あったりする。

それよりもなによりも、
人間、自分の為っていうスタンスだけだと、
実はポテンシャルを存分には発揮できない。

責任感が伴いにくいっていうか。
自分の責任は自分でとる… それ当たり前だし。

自分に人生をあずけてくれた
こいつのサウンドを最高にするには、
こいつのCDをより多く売るには、
こいつのステージをより素晴らしくするには、
みたいな気持ちの責任感とプレッシャーの中
考えに考え抜くというのは、
自分の為に考えているのとはまるで次元の違う体験。

その体験が、
アーティストとしての俺自身のポテンシャルを格段に伸ばしてくれた。

作曲・作詞・編曲・楽器のプレイ・ディレクション・プロデュース・
観る眼・聴く耳、マネージメント… とにかく全部。

なので
ご縁があったすべてのアーティスト・関係者には本当に感謝してる。

でもね…

俺は生涯、横浜銀蝿でベース弾いていたいんだ。

横浜銀蝿が自分の為にあるんじゃなくて、
自分が横浜銀蝿の為にいるんだと思ってるから。



Bass Man





  
Posted by taku0922 at 19:48

2014年08月23日

才能 

 
練習ってのはとどのつまり、
思ったことを思った時に思ったようにできるようにする為の鍛錬。

思った時に思ったようにってのは
いわば肉体のコントロールなので
まぁどうにかなる。

がしかしここで最重要なのが、
出発点である何を思ってるかってことだ。

身体が意識におっついてこないでヘッポコなのと、
そもそも発想がヘッポコなのとは
同じヘッポコでも全然意味が違う。

つまり思ったこと自体がヘッポコだと
いっくら一所懸命練習しても
ただヘッポコ具合がアップするだけだ。

でも残念ながら

習いごとで教わって身につくのは
思ったときに思ったようにの部分。

肝心な何を思うかのセンスは生まれ持った部分。

向き不向きとか才能とか呼び方は色々だが、
気合と根性だけでは超えられない一線は確かに存在する。

つまり人には
その一線のあっち側にいる人と
こっち側にいる人の二種類がいるわけで、
それってパッと観てすぐわかる。



俺はこっち側に立てているんだろうかと考えるそんな中、
常日頃思ってるのは、

自分が何をどうわかっていないのかを、
せめていつでもわかっていたいってコト。

だって

何がわかんないんだかわかんないって
どうにも救いようがないぢゃん(笑)


才能





  
Posted by taku0922 at 02:32

2014年08月22日

解像度 センス 精度 

 
結局
何やるにしても
解像度・センス・精度がポイント。

俺はいちおバンドマンなのでプレイにたとえると
タイム、ピッチ、アーティキュレーションを
どこまでズームアップ・ダウンして意識できるかの能力が解像度。
分解能でもいい。

耳もまずは解像度。

わかりやすく眼でいうと
対象を携帯の画面でとらえてるのか、
100インチの大画面でとらえているのかってことかな。

とにかく時間も空間もどっちも。

スパイダーマンが飛んでるハエの羽ばたきを
超スローでとらえるシーン。
あれ観てハッとしたもの。
これだよなって。

センスは
コトの違いやツボ・本質・コツをパッと感じる能力とか、
それを表現する才能。


仕上げは精度ね。

精度は狙える力とも言える。

雑なのが一番いかん。
ワイルドと雑は一見似てるようにも見えるが
実は全然違うモノだから。

解像度・センス・精度。

とか思いながらね、日夜精進してるわけなんですけど、
なっかなか道は長いし遠いですよね。

それとあんま関係ないんですけど
ビーチパラソル上手に立てるのもセンスいりますよね(笑)


由比ヶ浜





  
Posted by taku0922 at 11:17

2014年08月20日

湘南 

 
同じ湘南でも
浜はそれぞれ雰囲気が違う。

華やいでるところ
なんとなく暗いかんじのするところ
地味だけど落ち着いていいかんじのするところ…

隣り合ってる浜でも全然違ってたりする。

ほんと不思議… 同じ海なのに。

だからその日の自分の気分によって
行く先を変えるといいんだよ。

まぁどっちみち

海はどんな気分の俺だって
とてもでっかく受け止めてくれるけど。



ということでここ数日も海三昧(笑)


大磯
大磯


江ノ島片瀬
江ノ島片瀬


由比ヶ浜
由比ヶ浜





  
Posted by taku0922 at 02:13

2014年08月15日

人生のカタログ 

 
文は人なりとはよく言ったもんで、
文章を読むと書き手の人となりが
ホント手にとるようにこちらに伝わってくる。

でも考えてみると会話も同じで、
日頃言っていることをなにげに聞いてるだけで、
そいつの中身のかなりの部分が見えてきたりする。

他人ごとならばそれですむのであるが、
それは同時に己の発した言葉にも言えることなので、
こういった所にTEXTをアップするということは、
とりもなおさず人格の露呈そのものだということになる。


俺の人格ということでいうならば、
自分のサイトを立ち上げてからの15年。
雑誌のコラムやネット上に、
拙いながらかなりのTEXTをあげてきた。

それをあらためて読み返してみると、
こっ恥ずかしいのもあるけれど、
自分で自身の変化に驚いたりするわけです。

39歳からもうすぐ54歳の15年だも
そりゃ変化もするわい(笑)というわけで、
じゃあ結局、
今は何をどう考えながら書いてるのかというお話。

実はきっと全部、ある種のご提案なんですよね。
プレゼンテーションというか、うまく言えないけど。

というのは、俺は人間50歳を過ぎたら、
可能な限りすべての行いは
誰かの為にもなってなきゃいかんと思うんです。

でもべつに社会への恩返しとかいう大それた話じゃないし(笑)
己を無くしての自己犠牲って話でもない。
ましてやそもそも俺のTEXTが
人様の助けになるなどと思っているわけでもない。

役目っていうか、ライフステージ(人生の段階)の自覚の話ね。

人生ってさ、とどのつまりは生きざまの探求なわけで、
幸せって何だ?とか、愛って?とかの大命題や、
知っといたほがいい知恵だとか、逆境への対処法とか、
楽しいこととか、新しいモノの見方とか、
夢とか、癒やしの方法とか、健康法とか、
とにかく
色々なそゆことを見つける為の旅なんだと思うんだよ。

そして50年も生きてくると、どんなヤツでもみんななんとなく
ある程度悟ってくるというか、わかってくるというか、
人生の成果?をおのおのなりに収穫して
それぞれ心の引き出しの中にしまってあるはずなんだ。

もちろん俺もそう。

だったら、どうせならそれをみんなでシェアしあえたら素敵じゃん?
という発想。

若い人には参考になるだろうし、
同世代にだってとっても刺激になる。

専門家でもない普通の人なのに、
驚くべき内容をあげている人もたくさんいるし。

それに例えば、誰かが間違ったり失敗したコトは
同じ過ちを回避できる可能性も高まるだろうし、
楽しいことをもっとパワフルに
数倍楽しくできるってこともあるかもしれない。

経験は、自分だけの引き出しにしまっておいても
結局何にもならないし、
ある程度の年齢をむかえたならば、立場として責任として、
それを次の人に与える義務があるのかもしれないとも思うし。

ブログやSNSは、いわば人生のカタログ。
みんなで共有する経験アーカイブのパノラマだ。

せっかくネットやるなら
そんな感覚で読んだり書いたりしてたら
もっともっと楽しいし幸福かも…

な〜んて思ったりもしてるんだ。


人生のカタログ 





  
Posted by taku0922 at 20:15

2014年08月13日

愛しむ

俺は普段、吊り革やドアノブ等はもちろん、
その他よけいな所やモノには極力触らずに暮らしている(笑)

自分にはわりと潔癖なところがあるので、
ずっとそのせいかと思っていたのだが、
何度かここでもご紹介した例の石、
昨夜あれを寝る前に磨いて
そのままベッドの中で触りながら
ウトウトしていた時
突然そうではないことに気がついた。

俺にとって触るという行為は、
とても特別な意味を持つのだ。

いつくしむ… いとおしむ… めでる…

あえて漢字で書くならば

愛しむ… 愛おしむ… 愛でる…

そうつまり俺にとって
触れるという行為は、イコール“愛しむ(いつくしむ)”ということ。

無造作に何かに触れることなんて絶対にない。

考えてみると、
自分にとって特別なモノ・特別な人、
例えば楽器であったり、
愛用の万年筆であったり、
例の石であったり(笑)
愛する女性であったりには
常に触れていたいと思うし、
実際触れている時には、
たとえ対象がモノであっても人であっても、
なんていうか、
指先の細胞レベルでの交流?
大げさに言えば
氣のやりとりまで意識してたりする。

モノってなんか不思議な所があって、
ずっと触らずにホッポっておくと生気を失うでしょ?
人の住んでない家がいたむのと同じような。
それに人間も同じ。
相手も、そして自分自身だってそう。

人の手には特別な何かがある。
手や指ってただの便利な道具ってだけじゃない。

だから大事なモノには毎日触れていたいし、
愛する人にはずっと触れていたいし触れていてもらいたい。

手ってきっと、いつくしむ為のやさしい感覚器官なんだよ。

そう思いながら自分の手を見てると
なんか手のひらがポっと温かくなってくるよ。


左手


右手





  
Posted by taku0922 at 14:55

2014年08月07日

石ころ Like a stone 

 
6月に俺が石を磨いてるって記事書いたのを
ご記憶の方もいると思いますが…

さてあれから2ヶ月。

あの浜辺で拾ってきた石ころが
今日(8/7)現在こんな風になっております。

Like a stone


参考までに今までの様子も再度アップしておきますが、
驚くほどの変身ぶりです。

Like a stone


最初はそこら辺にあるただの石ころ、
いわば礫(れき)だったんですが、
いつの間にか珠(たま)に変わってしまっています。

こゆことなんだろなって…

みんな最初はただの石ころなんだよなって…

で、根気よく己を研磨し続けていれば
誰でも珠になれるんだよなって…

きっとこれは
スキルだろうがルックスだろうが人格だろうが
とにかく全部に言えることなんだろなって…

最初から宝石の原石で生まれてきて
しっかりカットされ研磨され
そりゃもう素晴らしい輝きを放つ人も中にはいるだろうけど
そんなのほんの一握りの選ばれた人。

ほとんどの人はきっとみんなただの石ころ。
そこら辺に落ちている普通の普通の普通の石ころ。

でもね

ただの石ころだってしっかり研磨を続けていれば
みんないつかこうやって珠になれるんだよ。

前回
俺が石を磨いてるつもりなんだけど
石が俺を磨いてくれてるのかもしれないねとか書きましたが、

今回はなんと
石に勇気までもらってしまいました。

たぶんこの石
俺は一生磨いていこうと思っています。





  
Posted by taku0922 at 06:28

2014年08月06日

氷川丸で花火! 

 
氷川丸

氷川丸

みなとみらい花火大会


  
Posted by taku0922 at 03:23

2014年08月05日

宮手健雄(テミヤン)のデビュー30周年記念ライブ 

 

8/3に宮手健雄(テミヤン)のデビュー30周年記念ライブがありました。

テミヤン

彼はラチェンBCのボーカルBig Joe 宮手であると同時に

ソロでは湘南を拠点とした海辺の生活をコンセプトに、
「浜辺のフォークシンガー」として、自然体でさりげない日常を
優しく歌い上げるスタイルの音楽活動を展開していたり、

野草・山菜・海菜(かいな)研究者として
執筆・講演、なんと料理教室ライブまでやっちゃう人物です(笑)

そんな彼のデビュー30周年ライブ。
場所はめっちゃお洒落な鎌倉の歐林洞。

おっとその前に名店キャラウェイでカレーを食し(笑)

キャラウェイのカレー


もちろん私も陣中見舞いにお邪魔しました。

宮手健雄(テミヤン)のデビュー30周年記念ライブ

このところ、まぁ銀蝿もそうなんですが、
現役の仲間の多くが30周年だ35周年だを迎え、
みんないいベテランになってきました。

音楽だけではなく芸事というのはある種、
終わりのないトーナメントに出場しているようなものなので、
現役の仲間達とは、生き残ってきた同志の感覚さえ覚えるわけで、
周年のお祝いは、まるで自分のことのように嬉しさを感じます。

ラチェンのプロデュースをまかせていただいたご縁からもうすぐ四半世紀。
まるで無理のない、気持ちのいい程コントロールされた
深みのあるやさしいその素晴らしい歌声を
これから先もずっと聴かせて下さいね。
デビュー30周年おめでとうございます。

宮手健雄(テミヤン)のデビュー30周年記念ライブ




  
Posted by taku0922 at 05:49

2014年08月04日

屋台のお好み焼で花火! 

 


8/2横須賀花火



8/2横須賀花火

よこすか開国祭 開国花火大会



  
Posted by taku0922 at 21:22

I want to fly like a black kite.

 

8/2



8/2





  
Posted by taku0922 at 00:34